かぁずぅの沖縄日記

那覇・牧志にて美ら笑三線教室を主宰。三線体験教室も開催中!三線普及活動も頑張ってます。 HP https://okinawa098shimauta.com かぁずぅってこんな人↓ 【天星術】太陽グループ深夜タイプ 独特の世界観を持つ異色な人・自由人 【絶対NGなタイプ】 短気、上から目線、常識を押し付ける人 【相性の良い天星】 下弦の月、夕焼け、空 詳しくは https://hoshi.cocoloni.jp/article/12?zspid=w999999999 まさに書いてある通りなので読んでください。

10年目のメモ

10年ですね。

東京に憧れて念願の都民ライフを送っていた私。

当時は某三線教室で働いていて、その日は埼玉県志木駅近くのカルチャーセンターでのレッスンでした。

14時30分にレッスンが終わり、東武東上線の改札を抜けホームへの階段を下りているときにカタカタと揺れを感じました。

長く揺れてるなーと思いつつホームの端まで歩いていた時に突然の大揺れ。思わず近くの柵に掴まるも駅前のビルの揺れにこれはもうダメかもって思ってしまいました。

しかも、たまたま止まっていた電車の車掌室から宮城が震源と聞いたとたん、覚悟を決めなきゃなとおもいましたね。

その後、動くはずもない電車の座りガラケーでTVを見つつ、その後も続く大きい余震にビビりながら何もすることが出来ない状況が続きました。

しばらく駅に居たものの、駅が封鎖されたため駅前に出ると、TVから津波のライブ映像が流れてて、見た時に、一瞬映画かなって思うくらい訳が分からなくなってただぼーっと見てた記憶があります。

その後もしばらくTVを見ていたのですが帰る手段がなくなったため、とりあいず歩いて帰ろうと池袋へ向けて歩いてみることに。

その時は朝まで歩けば池袋まで帰れるだろうという覚悟で歩いていましたが、次の駅の朝霞台駅についた時に避難所が開設されていることを知り、とりあいず行くことに。

非常食をもらいホールの客席で寝ましたけど、頻繁に鳴る緊急地震速報に大きな余震。ラジオから流れる無事を伝える伝言と被害の状況。あの夜の事は忘れないですね。

あれから10年。

人生2度目の円形脱毛症で仕事が出来なくなり、憧れの東京を離れて沖縄生活。

変わってないのは三線教室をやっていること。

何が起こるか分からない。でもなんとかなっている。

生きることは大変だけど、今を生きていることに感謝して、明日もがんばろう。

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